臼井氏、林氏と繋がりのある私の過去世

臼井氏、林氏と繋がりのある私の過去世
靈氣相対図.JPG

 

ラジェンドヒーリング

 

ラジェンドヒーリング(明医靈氣/明前靈氣)とは
私(來真)の2世代前の過去世である
滋賀県生まれの
土井慶佑(1877年8月~1933年10月没)が
瞑想し取得した氣です。

 

土井慶佑(どい けいすけ)は3人兄弟の長男として生まれ
貧しい家庭に育ちました。

 

家計を助けるために
幼いころから新聞配達をしながら学校に行っていました。

 

もともと人を癒すことが好きで
親の協力もあり医者を目指す決心をする。

 

大学を卒業し
1905年4月
自宅の敷地内に治療院を開業しました。
順調に多忙な日々を送っていましたが
1922年2月
患者が来院し、薬や注射をしたが
回復の兆しがなく
【医療の技術だけでは限界がある】
【どうにかして和らげたい】
【和らげるような技術を学びたい】と思い
知人の医師、友人に悩みを話し
気功師を紹介してもらいました。

 

気功師から臼井甕男という人が
臼井靈氣療法学會を設立して氣の靈授なるものを
しているので行ってみてはどうか?と言われ
1922年5月に臼井靈氣療法学會に入会しました。

 

入会したときには15人から20人くらいの人が学んでいました。

 

臼井氏に挨拶し
靈氣の説明を受け
瞑想法などを学び初傳を靈授されました。

 

靈授後、練習に入りました。
練習相手は林 忠次郎氏でした。
林氏との話をしていく中で
林氏は私より少し早く入会していて
何度も臼井氏から靈授を受けているなど様々な話をしました。
瞑想も良いが再靈授を受けることにより氣が高まる。氣を感じれるようになってくる。
とアドバイスをもらったりもしました。

 

私は林氏のアドバイスもあり再靈授を受けながら
1922年11月下旬に師範となり
臼井靈氣療法学會を後にし自宅に帰りました。

 

自宅に帰り
知人の医師などに靈氣の素晴らしさを伝えました。

 

林氏との氣の研究が終わり、しばらくして
私は一人で山に行きました。

鞍馬山で瞑想することにより何かを得られるのではないか。
と考えました。
瞑想し氣を得ることはできなくても
精神が鍛えられるだろう。と思い
鞍馬山に行き臼井氏が実践した瞑想を21日間行いました。
精神は鍛えられましたが氣を得ることはありませんでした。
自宅に帰り、寝床で横になり瞑想していたとき
光の玉が目の前に現れ、もう一度
山に行きなさい。と言われ
半信半疑のまま
もう一度 鞍馬山に行きました。
臼井氏から教わった瞑想法ではなく
鞍馬山で考えた独自の瞑想をし続け7日目の深夜に身体が熱くなり
氣が循環しているのがわかり山を降りました。

 

自宅に帰り しばらく休み
鞍馬山で取得した未知の氣を【明前靈氣】と名付け
治療していくうちに【明医靈氣】と改名し
臼井氏から得た靈氣と明医靈氣をつかい患者を治療していきました。

数々の患者を治療していくなかで
改めて氣の大切さについて学んでいました。

 

『治療とは医療技術と目には見えない氣が必要だ。
これから先も未知の病はでてくるだろう。
私の時代では目には見えない氣を信じる人は少ないが
治療はできている。
患者は喜んでくれている。
来世では医療は進んでいると思うが
今よりもさらに目には見えない氣が必要となってくるだろう。
必ず必要になってくるであろう靈氣・明医靈氣を来世に伝えたい』
亡くなる1年前に来世に伝えるため自ら封印しました。


現在 明医靈氣は
名を変更しラジェンドヒーリングとしています。

 

なぜ明医靈氣ではなく
ラジェンドヒーリングと名称変更したかと言いますと
変更理由は2つあります。

 

≪一つ目≫
過去世の私は医者でしたが
現在の私は医師ではありません。
医師ではない私は治療行為はできません。
誤解を招く恐れもあり変更しました。


≪二つ目≫
氣(エネルギー)を調べていくうちに
氣を降ろしてくださった高次元の存在が分かったからです。

氣を降ろしてくださった高次元の存在は
ラジェンド』と言う方です。
過去世の私はチャネリングができていたわけではないので
独自に編み出した印(シンボル)と
臼井氏から靈授された印を使用し患者を治療していました。
チャネリングで『ラジェンド』を調べていくうちに
数々の印(シンボル)があることがわかりました。
過去世の私が使用していた明医靈氣は
印を知らないため未完成だったことがわかり
明医靈氣から『ラジェンドヒーリング』と変更しました。

 

※ラジェンドヒーリングは
臼井氏から靈授された氣ではありませんので
靈氣が扱えるようになるわけではありません。